またしばらく更新が止まってしまいました。

一昨日、雪にテンションが上がって必要以上に外を歩いたせいで派手に転びました。

ポンチョ装備で自転車に乗った外国人の方がちょうど通りかかり、生まれて初めて片言の日本語で「大丈夫ですか?」と言われました。漫画の中だけのことだと思っていました。

転んだ拍子についた左手首と、なぜか右肩を痛めています。

文字に起こしていて思いますが、最近色々と貧乏くじを引くことが多く、かなり深刻にツイてないです…



前置きが長くなりました。

今回は自分の好きなものについて考えてみます。

私の好きなものは、どれもジャンルがバラバラです。

このブログでも一度取り上げた、怪談・怖い話の類から、落語や演劇などなど、本当に色んなものが好きです。

それらの共通点を探すために、まず各ジャンルの中で一番好きなものを挙げてみようと思います。

怪談・怖い話: 特にどの話が好き、というものはないのですが、「人志松本のゾッとする話」で語られる芸人さんの怖い話がすごく好きです。

落語: 身振り手振りが多い噺が好きです。「時そば」、「酢豆腐(ちりとてちん)」、「二番煎じ」などなど

最近は立川談春の「包丁」を聴きながら寝てます。

演劇: 村川拓也「ツァイトゲーバー」をyoutubeで狂うほど観てます。以前大学の授業で鑑賞して以来大好きです。

ほかにも、むかし「ジャポニカ学習帳」の最後のページに載っていた、異国のフルーツを紹介するコラムがとても好きでした。

だけど買うのはもったいないので、文房具店に置かれたノートを端から端まで漁って最終ページだけ舐めるように読みました。


ここまで見てみると、少しずつ自分の好きなものがどういう特徴で繋がっているのか分かってきます。



話は飛びますが、

物心ついた頃の自分にとって一番ホット遊び場は、寝室でした。

当時の家の寝室には、敷布団の他に毛布が二枚と、貧乏なうちには不釣り合いな、大きくてフカフカの羽毛布団が一枚ありました。

その大きな羽毛布団が、私の想像力の全てでした。

例えば、車に乗ろうと思った時は、広げた羽毛布団の上に座って、四方の辺を適当に立ててドアやボンネットを作り、

最後にレバーに見立てた布団叩きを脚の間に垂直に刺して完成です。

フクロウの胸で寝たい!と思った時(かなりロマンチストですよね)は、羽毛布団に毛布を重ね、その上にダイブしました。

他にも、羽毛布団を畑に見立てて布団叩きで耕したり、布団の中に布団叩きを立ててテントのようにして遊んだりと、とにかく寝室は無限に遊ぶことのできる空間でした。


その頃の私には、もう一つ好きな遊びがありました。

父と湯船の中でする、ごっこ遊びです。

中でも一番記憶に残っているのは、小さなタオルとモンスターボール型の水鉄砲を使った歯医者さんごっこです。

通常の親子がするごっこ遊びでは、私が歯医者さんをやる流れなのですが、うちでは父が歯医者、私が患者役でした。

父はまず、私の頭を湯船の淵に凭れさせ、目にタオルをかけます。

それから私に口を開けさせて、水鉄砲の細い水流を奥歯に向かってかけます。これが治療です。

最後に私の目に載せていたタオルを、今度は濡らして浴室の壁に貼り付け、「このレントゲンを見てください。今回の治療では…」とタオルの模様をでたらめに指差しながら解説をしてくれます。



この二つの遊びを思い起こしてみると、

私の好きなものには、どれも「虚構の中に特有のリアル」があるのではないか、と感じるのです。

落語や「ツァイトゲーバー」、「ジャポニカ学習帳」は、実際に観たり読んだりしてもらえれば分かると思うのですが、

"その場にないものを存在しているように思わせる力"に満ちています。

落語家が蕎麦をすする仕草、酒を飲む仕草、煙管に煙草を詰めて火をつけて吸うまでの動作には、観る者を強く惹きつける魅力があります。

「ツァイトゲーバー」では、パイプ椅子が一脚置かれただけの舞台上に、演者の動きに合わせて間取りや家具の概念が現れ、音楽が流れ、日差しが差し込み、また演者の動きに合わせて消えてゆきます。

ジャポニカ学習帳」の巻末には、聞いたこともない果物の味や食感が丁寧に描かれていて、馴染みのないそれらを立体的に浮き上がらせてくれます。(漢字練習帳に載っていた"ホワイトサポテ"を食べてみたいともう10年くらい考え続けています)

「ゾッとする話」ですが、

お笑い芸人の方々にとって、怖い話は本業と対極の位置にあるもので、彼らから語られることに必然性はありません。

しかしそれを押しても語らなければならない、という迫真的な切実さが、虚構であるはずの恐怖譚にリアリティを与えている、と思うのです。



こうやって見てみると、

私は幼少の頃から、存在しないものをありありと表現する行為に憧れていたのだなと感じます。

寝室での遊び然り、父とのごっこ遊び然り、何事にもリアリティを求め続けていた結果、現在の嗜好を持つに至ったのだと思います。

なので私の好きなものは大抵、

「ここにはないけどリアル」

という特徴を持っているのではないかなと結論づけました。

なんだか長くて纏まりのない文章ですが、

書いていてまた「ツァイトゲーバー」が観たくなったのでyoutubeに行ってきます。

ダイジェスト版しか観られませんが、興味のある方はぜひ!

https://youtu.be/g9FHlX8f5A8