卒業ギリギリな4年生なので、テストとレポートに追われてしばらく更新できませんでした。

気がつけばあっという間に2月です。

今週末は日本列島が高気圧に包まれて春本番の暖かさになると天気予報で言っていましたが、春は空気が浮ついていてあまり好きではないです。


さて、今日はちょっと長めの文章を投稿しようかなと思います。

冒頭でも触れたテスト関連なのですが、とある授業のテスト問題に「源氏物語(桐壺巻)のあらすじを登場人物の目線から記述しなさい」というものが出ると予告されていたので、いくつか解答を作りました。

テスト本番では桐壺の更衣の目線から書いたのですが、私としては朱雀帝(桐壺巻では東宮)にかなりシンパシーを感じているので、ここには東宮目線から書いた解答をそのまま書き残しておこうと思います。

東宮、本当に可哀想で辛い…

桐壺巻のあともお父さん(先代の帝)が夢枕に立って「源氏に優しくして!(怒)」ってわざわざ言いに来て目を患ってしまったり、好きな女に唾つけられたりと不遇な人生なんですよね…それでも源氏のことを弟として丁重に扱っていてマジで聖人です。



 父は帝、母は右大臣の娘という、理想的な血筋に生まれたはずなのに、物心ついた頃の世間はすでに異母弟の「光る君」の話題で持ちきりでした。お父さまにしても形ばかりお気遣いくださるだけ、お母さまにしてもお部屋の前を誰かが通るたびに苛立たれたり、お父さまに何か厳しく意見なされたりと落ち着きません。不安でお母さまの顔を見上げると、お母さまは僕を抱きしめて、「君は生まれながら将来を約束された皇子でいらっしゃいます。」とまるで自分自身に言い聞かせるように何度もおっしゃられます。僕と「光る君」が何かにつけて比べられたり、僕が皇太子の座を奪われるのではないか、と疑われていたのだと後から知りました。

 それでも、「光る君」が三つになった年の夏ごろから、お母さまはいくばくか穏やかになられました。「願いが通じたのだ。」と嬉しそうにしているお母さまに、僕は正体のわからない恐怖を覚えました。同じ頃に「光る君」のお母上が亡くなられたのは、お母さまの態度の変化と何か関係があるのでしょうか。

 お母上が儚くなられてからしばらく、「光る君」はお母上のご実家に下がっているようでした。お父さまは相変わらずほとんど僕のところには来てくださいませんでしたが、「光る君」のお母上が亡くなられてからは、お母さまのところにもほかの女御さまのところにもいらっしゃらず、自室で泣き暮らしていると聞きました。

 それからしばらくして、僕が正式に皇太子になることが決まりました。お母さまは涙を流して喜んでおられ、それを見た僕も嬉しくなりました。だけどお父さまは、顔にこそ出さないけれど、本当は「光る君」を皇太子にしたかったのだろうなと思いました。それからすぐに「光る君」のお祖母様が亡くなられ、君は六つで親族のほとんどを失って宮中によく顔を出すようになりました。七つで読書初めを終えてから、僕は前より一層、君の素晴らしさを褒め称えるための引き合いに出されるようになりました。さらにある日、お父さまは君を連れてお母さまのところへやってきました。お母さまは君を御簾の中へお入れになって、初めこそ渋面を作られていたけれど、後見のない可哀想な境遇とその美しい容姿を見ていると疎み続けていることもおできにならないようでした。僕は、彼と比べられることに疲れてはいたけれど、それと同じくらい、彼と友達になりたい気持ちもあって、とても複雑でした。

 そんなとき、突然「光る君」が臣籍に降下して源氏の姓を名乗るという知らせが舞い込んできました。僕は、お父さまは君を親王にするおつもりとばかり思っていたので、とても驚きました。

 僕が元服してから一年後、源氏の君の元服式が執り行われました。仮親とも言われる加冠の役に左大臣がなられたと知り、僕は入内を打診していた左大臣の姫君は源氏の君と結ばれるのだと悟りました。源氏の君の元服式は、僕のものよりずっと盛大でした。皇族ではこういった儀式の折にかける費用がかなり制限されますが、臣籍に下ったいま、彼を縛るものは何もありません。お父さまもそれをご存知の上で、僕のときより何倍もお金をかけて、ご自身でも君の身の回りを駆け回ってご準備され、それはそれは絢爛豪華な元服式でした。僕はいつも君の影のように扱われ、何もかもを比較され、父の愛情も、妻にしたい人も奪われて、心底疲れてしまいました。僕を、僕自身を見てくれる人は誰もいません。



(色々間違っているところあるかと思いますが専門ではないので許してください)