卒業に寄せて

お久しぶりです。

懲りずに読んでくださる方がいると信じて更新してます。


日付が変わって今日、とうとう卒業式を迎えます。

ここ数日びっくりするほど暖かかったので、近所でも桜がちらほら咲いてきていますが、

今日はどうやら小雨もちらついて寒くなるみたいです。


大学での生活を見渡してみると、高校に入ってから少しずつ心の中に立ち込めていた嫌な予感がくっきりと顕在化した4年間でした。


このブログでも時折、幼少期の話をしていたと思いますが、

幼少の私は、自分自身のことをスーパーマンだと思っていました。

勉強もスポーツも、大した努力を要さずに結果を出すことができて、

周りの誰もが思いつかないようなアイデアを出すことも容易でした。

自分は何にでもなれる。

臆面もなくそう思っていました。


だけど高校に入って、その展望は大きく崩れました。

端的に言えば、私は井の中の蛙だったということに尽きると思います。

高校の同級生は勉強もスポーツも私よりはるかに出来る人たちで、

私はエリート中学生からあっという間に底辺高校生になりました。

赤点をたくさん取ったり、授業中に居眠りしたことを自虐ネタにして、ある種ピエロのように振る舞うことで、誰かからバカにされる前に先手を打っていました。

部活では部員の足を引っ張ってばかりで、居場所がないと感じることが多く、年を経るごとに辞めたいと強く思うようになりました。

それでも、そんな生活の中でも、

自分はいつか何者かになれるはずだと、

意固地に信じ続けていました。

大学に入れば、自分の好きなことができる、

大学に入れば、自分は何かを成し遂げることができる、

と半ば暗示のように心の中で唱え続けました。

結局、第一志望だと豪語していた大学に落ち、今の大学に入りました。


小説について勉強している間は、

かろうじて自分を持つことができました。

だけど、高校時代の自分が期待していたような劇的な変化は訪れませんでした。

大学在学期間中に留学にも行ったし、就活を通じてそれなりの企業に就職することもできたけれど、

私は結局、何者にもなれませんでした。

いつか、いつか、と考えていた高校生の私にもし会うことができたら、

ごめんなさいと謝らなければいけません。

4年間大学に通ったけれど、何も起きませんでした。

それはひとえに私の力不足によるところで、過去の自分はきっと呆れかえってしまうでしょう。

だけどきっと、「ああ、やっぱりな」と心の中で感じているのではないか、と思うのです。


高校に入学してから薄々気付いていましたが、私は凡人の域を少しも逸脱していない、ごくつまらない人間だったのだと、大学4年を通じて実感しました。


これからの人生がどうなってゆくのかまるで分からないけれど、

せめて高校生の私が許してくれるような人間になりたいと思います。


関わってくださった方々、

4年間本当にお世話になりました。




余談ですが、

一昨日の朝に卒業アルバムがうちに届きました。

これといって写真に撮られるような活躍をしていないので、写っているページは全体の1割にも満たないのですが、

体育会系の学生が弾けるような笑顔で写真に写っているのを見て、

この人たちと私では4年間見ていた景色が180°違うのだろうな、

と変な感慨にふけってしまいました。

なんとか無事に卒業が確定したので投稿します。

発表日は同期二人との京都旅行の最終日だったのですが、

あまりに恐ろしくて前日は全く眠れませんでした。

三人とも卒業確定したので心置きなく京都を満喫して帰ってきました。本当に良かったです…。


今回はアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」について少し書こうと思います。

大学生活最後に書いたレポート(1.2万字の大物でした)が「ゲゲゲの鬼太郎」についてだったので、

レポート作成時に観た話を軽く紹介します。


一応アニメシリーズを1〜6期まで簡単にさらったのですが、

さすがに長寿アニメということもあって、各期それぞれに顕著な特徴や力の注ぎどころがあり、

とても重厚な作品でした。

人間と妖怪との関係性もシリーズごとに異なっていて、

共存・融和を図っているものもあれば、

あくまで別個の存在としてややドライに描かれているものもあり、

時代背景との関わりも感じずにはいられませんでした。


レポートでは、

・各シリーズに特徴的な回を取り上げて検証

・シリーズを通じてリメイクされている回を並べて検証

という2つのアプローチ法をとりました。

前者では、主に社会情勢を反映した話や人間と妖怪との関係性を示す話を取り上げて解説しました。

環境破壊に対する警鐘、忠告のような話が多かったように思います。

後者では、「幽霊電車」の回を1.3.4.5.6期のもの(2期は1期の続編という位置付けなので無し)をそれぞれ見比べて、演出や取り扱われているテーマについて検証しました。

この回、だいたいどのシリーズでも有名な恐怖回になるのですが、3期は出てくる妖怪が可愛くて幾分コミカルなので観やすいです。オススメです。


前者の方で印象に残ったのは3期の作品群と5期のメイド喫茶の回でしょうか。

3期は鬼太郎シリーズにおける「テコ入れ期」という立ち位置だと個人的に思っています。

というのも、このシリーズで初めてレギュラーメンバーに人間の女の子が加わって、ネコ娘との三角関係が成立したり、

他の妖怪たちも人間と恋をしたり、はたまた妖怪同士で好き合ったりと、

とにかくラブコメ要素の強い回が多いのです。

砂かけ婆と子泣き爺との(誰得な)恋愛回もある上に、

あのぬりかべまで人間の幼女(!)と恋愛するのですからビックリです。

3期は恐怖要素が薄いのでオススメです。(最終回でかなり精神やられますが…)

5期はちょうど私の世代ど真ん中なので、高山みなみさんの声がすごく馴染みます。

メイド喫茶の回は、もちろん原作にはないお話で、一見するとふざけた回に見えるかもしれませんが、

とてもよく作り込まれた回だったと思います。大まかな筋としては、

「行った人が帰ってこなくなるメイド喫茶」という噂を聞きつけた鬼太郎が調査すると、その店のメイドたちは「古椿(ふるつばき)」という霊木が、養分となる男たちを呼び寄せるために作り出した花の化身だった、

というお話です。

この「古椿」という妖怪は江戸時代から存在している由緒ある化け物で、

300年以上の時を経て現代との融合を通じて日の目を浴びていると考えると、鬼太郎シリーズの意義は大きいと感じます。


次に「幽霊電車」の回についてです。個人的にはこちらを検証する作業の方が楽しかったです。

ネコ娘の美人化や鬼太郎のイケメンパパなどで何かと有名な最新シリーズの6期も例に漏れず、

かなり早い段階でこの「幽霊電車」の回をリメイクしていました。

そして内容がまたすごい。

ネタバレは避けますが、5期までに用いられた演出方法の全てを網羅した上に、

ネットによるいじめ、ブラック企業パワハラに対する批判を盛り込んだ超意欲作でした。

結末もどんでん返しに次ぐどんでん返しの贅沢すぎる回、是非観てほしいです。

テーマ盛り込みすぎでは?と思う部分もありますが…

「幽霊電車」の回はシリーズを追うごとに恐ろしさが増しているような気がします。

5期からは「登場人物の一人が実はもう死んでいた」というトリッキーな設定が使われるようになり、ミステリー要素が更に追加されました。


どちらのアプローチで見ても、前シリーズを下敷きにした新たな回やリメイク法を発見することができ、

アニメの製作陣たちの

「前シリーズを超えてやる!」

という強い意志を感じました。

そのおかげもあってか、どの期も見応えがあってとても良い作品だと思います。



ただただ「ゲゲゲの鬼太郎」をゴリ押ししただけになってしまいましたが、まあしょうがないかな…

それではまた次の更新で!


おわり

またしばらく更新が止まってしまいました。

一昨日、雪にテンションが上がって必要以上に外を歩いたせいで派手に転びました。

ポンチョ装備で自転車に乗った外国人の方がちょうど通りかかり、生まれて初めて片言の日本語で「大丈夫ですか?」と言われました。漫画の中だけのことだと思っていました。

転んだ拍子についた左手首と、なぜか右肩を痛めています。

文字に起こしていて思いますが、最近色々と貧乏くじを引くことが多く、かなり深刻にツイてないです…



前置きが長くなりました。

今回は自分の好きなものについて考えてみます。

私の好きなものは、どれもジャンルがバラバラです。

このブログでも一度取り上げた、怪談・怖い話の類から、落語や演劇などなど、本当に色んなものが好きです。

それらの共通点を探すために、まず各ジャンルの中で一番好きなものを挙げてみようと思います。

怪談・怖い話: 特にどの話が好き、というものはないのですが、「人志松本のゾッとする話」で語られる芸人さんの怖い話がすごく好きです。

落語: 身振り手振りが多い噺が好きです。「時そば」、「酢豆腐(ちりとてちん)」、「二番煎じ」などなど

最近は立川談春の「包丁」を聴きながら寝てます。

演劇: 村川拓也「ツァイトゲーバー」をyoutubeで狂うほど観てます。以前大学の授業で鑑賞して以来大好きです。

ほかにも、むかし「ジャポニカ学習帳」の最後のページに載っていた、異国のフルーツを紹介するコラムがとても好きでした。

だけど買うのはもったいないので、文房具店に置かれたノートを端から端まで漁って最終ページだけ舐めるように読みました。


ここまで見てみると、少しずつ自分の好きなものがどういう特徴で繋がっているのか分かってきます。



話は飛びますが、

物心ついた頃の自分にとって一番ホット遊び場は、寝室でした。

当時の家の寝室には、敷布団の他に毛布が二枚と、貧乏なうちには不釣り合いな、大きくてフカフカの羽毛布団が一枚ありました。

その大きな羽毛布団が、私の想像力の全てでした。

例えば、車に乗ろうと思った時は、広げた羽毛布団の上に座って、四方の辺を適当に立ててドアやボンネットを作り、

最後にレバーに見立てた布団叩きを脚の間に垂直に刺して完成です。

フクロウの胸で寝たい!と思った時(かなりロマンチストですよね)は、羽毛布団に毛布を重ね、その上にダイブしました。

他にも、羽毛布団を畑に見立てて布団叩きで耕したり、布団の中に布団叩きを立ててテントのようにして遊んだりと、とにかく寝室は無限に遊ぶことのできる空間でした。


その頃の私には、もう一つ好きな遊びがありました。

父と湯船の中でする、ごっこ遊びです。

中でも一番記憶に残っているのは、小さなタオルとモンスターボール型の水鉄砲を使った歯医者さんごっこです。

通常の親子がするごっこ遊びでは、私が歯医者さんをやる流れなのですが、うちでは父が歯医者、私が患者役でした。

父はまず、私の頭を湯船の淵に凭れさせ、目にタオルをかけます。

それから私に口を開けさせて、水鉄砲の細い水流を奥歯に向かってかけます。これが治療です。

最後に私の目に載せていたタオルを、今度は濡らして浴室の壁に貼り付け、「このレントゲンを見てください。今回の治療では…」とタオルの模様をでたらめに指差しながら解説をしてくれます。



この二つの遊びを思い起こしてみると、

私の好きなものには、どれも「虚構の中に特有のリアル」があるのではないか、と感じるのです。

落語や「ツァイトゲーバー」、「ジャポニカ学習帳」は、実際に観たり読んだりしてもらえれば分かると思うのですが、

"その場にないものを存在しているように思わせる力"に満ちています。

落語家が蕎麦をすする仕草、酒を飲む仕草、煙管に煙草を詰めて火をつけて吸うまでの動作には、観る者を強く惹きつける魅力があります。

「ツァイトゲーバー」では、パイプ椅子が一脚置かれただけの舞台上に、演者の動きに合わせて間取りや家具の概念が現れ、音楽が流れ、日差しが差し込み、また演者の動きに合わせて消えてゆきます。

ジャポニカ学習帳」の巻末には、聞いたこともない果物の味や食感が丁寧に描かれていて、馴染みのないそれらを立体的に浮き上がらせてくれます。(漢字練習帳に載っていた"ホワイトサポテ"を食べてみたいともう10年くらい考え続けています)

「ゾッとする話」ですが、

お笑い芸人の方々にとって、怖い話は本業と対極の位置にあるもので、彼らから語られることに必然性はありません。

しかしそれを押しても語らなければならない、という迫真的な切実さが、虚構であるはずの恐怖譚にリアリティを与えている、と思うのです。



こうやって見てみると、

私は幼少の頃から、存在しないものをありありと表現する行為に憧れていたのだなと感じます。

寝室での遊び然り、父とのごっこ遊び然り、何事にもリアリティを求め続けていた結果、現在の嗜好を持つに至ったのだと思います。

なので私の好きなものは大抵、

「ここにはないけどリアル」

という特徴を持っているのではないかなと結論づけました。

なんだか長くて纏まりのない文章ですが、

書いていてまた「ツァイトゲーバー」が観たくなったのでyoutubeに行ってきます。

ダイジェスト版しか観られませんが、興味のある方はぜひ!

https://youtu.be/g9FHlX8f5A8

卒業ギリギリな4年生なので、テストとレポートに追われてしばらく更新できませんでした。

気がつけばあっという間に2月です。

今週末は日本列島が高気圧に包まれて春本番の暖かさになると天気予報で言っていましたが、春は空気が浮ついていてあまり好きではないです。


さて、今日はちょっと長めの文章を投稿しようかなと思います。

冒頭でも触れたテスト関連なのですが、とある授業のテスト問題に「源氏物語(桐壺巻)のあらすじを登場人物の目線から記述しなさい」というものが出ると予告されていたので、いくつか解答を作りました。

テスト本番では桐壺の更衣の目線から書いたのですが、私としては朱雀帝(桐壺巻では東宮)にかなりシンパシーを感じているので、ここには東宮目線から書いた解答をそのまま書き残しておこうと思います。

東宮、本当に可哀想で辛い…

桐壺巻のあともお父さん(先代の帝)が夢枕に立って「源氏に優しくして!(怒)」ってわざわざ言いに来て目を患ってしまったり、好きな女に唾つけられたりと不遇な人生なんですよね…それでも源氏のことを弟として丁重に扱っていてマジで聖人です。



 父は帝、母は右大臣の娘という、理想的な血筋に生まれたはずなのに、物心ついた頃の世間はすでに異母弟の「光る君」の話題で持ちきりでした。お父さまにしても形ばかりお気遣いくださるだけ、お母さまにしてもお部屋の前を誰かが通るたびに苛立たれたり、お父さまに何か厳しく意見なされたりと落ち着きません。不安でお母さまの顔を見上げると、お母さまは僕を抱きしめて、「君は生まれながら将来を約束された皇子でいらっしゃいます。」とまるで自分自身に言い聞かせるように何度もおっしゃられます。僕と「光る君」が何かにつけて比べられたり、僕が皇太子の座を奪われるのではないか、と疑われていたのだと後から知りました。

 それでも、「光る君」が三つになった年の夏ごろから、お母さまはいくばくか穏やかになられました。「願いが通じたのだ。」と嬉しそうにしているお母さまに、僕は正体のわからない恐怖を覚えました。同じ頃に「光る君」のお母上が亡くなられたのは、お母さまの態度の変化と何か関係があるのでしょうか。

 お母上が儚くなられてからしばらく、「光る君」はお母上のご実家に下がっているようでした。お父さまは相変わらずほとんど僕のところには来てくださいませんでしたが、「光る君」のお母上が亡くなられてからは、お母さまのところにもほかの女御さまのところにもいらっしゃらず、自室で泣き暮らしていると聞きました。

 それからしばらくして、僕が正式に皇太子になることが決まりました。お母さまは涙を流して喜んでおられ、それを見た僕も嬉しくなりました。だけどお父さまは、顔にこそ出さないけれど、本当は「光る君」を皇太子にしたかったのだろうなと思いました。それからすぐに「光る君」のお祖母様が亡くなられ、君は六つで親族のほとんどを失って宮中によく顔を出すようになりました。七つで読書初めを終えてから、僕は前より一層、君の素晴らしさを褒め称えるための引き合いに出されるようになりました。さらにある日、お父さまは君を連れてお母さまのところへやってきました。お母さまは君を御簾の中へお入れになって、初めこそ渋面を作られていたけれど、後見のない可哀想な境遇とその美しい容姿を見ていると疎み続けていることもおできにならないようでした。僕は、彼と比べられることに疲れてはいたけれど、それと同じくらい、彼と友達になりたい気持ちもあって、とても複雑でした。

 そんなとき、突然「光る君」が臣籍に降下して源氏の姓を名乗るという知らせが舞い込んできました。僕は、お父さまは君を親王にするおつもりとばかり思っていたので、とても驚きました。

 僕が元服してから一年後、源氏の君の元服式が執り行われました。仮親とも言われる加冠の役に左大臣がなられたと知り、僕は入内を打診していた左大臣の姫君は源氏の君と結ばれるのだと悟りました。源氏の君の元服式は、僕のものよりずっと盛大でした。皇族ではこういった儀式の折にかける費用がかなり制限されますが、臣籍に下ったいま、彼を縛るものは何もありません。お父さまもそれをご存知の上で、僕のときより何倍もお金をかけて、ご自身でも君の身の回りを駆け回ってご準備され、それはそれは絢爛豪華な元服式でした。僕はいつも君の影のように扱われ、何もかもを比較され、父の愛情も、妻にしたい人も奪われて、心底疲れてしまいました。僕を、僕自身を見てくれる人は誰もいません。



(色々間違っているところあるかと思いますが専門ではないので許してください)

今日はうちに新しいソファが来ました。

一週間以上前から母が「ソファ来るよ!」とワクワクしていたので、やっと来たかという感じです。

届くまでは特に欲しいとも思っていなかったのですが、

リビングに設置された瞬間から急激にQOLが上がりました。(だらけ具合も爆上がりしました)


先日、大学の小説創作ゼミで「もしも急に古代生物になってしまったら」というお題が出ました。


その場で提示された生物は、

・大きな首長竜

・小さな翼竜

・ムカデのような虫

・巨大なトンボ(メガネウラ)

の4種類でした。


4つのうちどれかになってしまったとして、

みなさんはどう思いますか?

どういった行動に出ると思いますか?


くだらないことですが、

考えるとちょっと面白いですよね。


私自身はとてもつまらない人間なので、

何に変身しても自由になれて嬉しい、としか考えないと思います。

小説の中でなら色んなことを考えられるのですが…。



なんだか本当に身のない話になってしまいました。

やるべきことが詰まっていると無駄なことばかりしてしまう癖をどうにかしたいです。


おわり

大学の授業も残すところあと1回になってしまいました。

水曜4限に宗教文化の講義を取っているのですが、

今週のテーマが「呪術」ということで先生が授業にわら人形を持参してきました。

本物(?)は初めて見ましたが、

全長2〜30センチほどあり思っていたより大きかったです。

最近では丑の刻参りの代行サービスなどもあるらしく、

呪術のあらぬ方向への進化に愛おしさが溢れました。


呪術やオカルト系の俗信については正直そこまで真剣に信じているわけではないのですが、

ホラー映画や怖い話はとても好きです。

留学していた頃も、

芸能人が語る怖い話を聞きながら寝ることがよくありました。やるせなすの中村がお気に入りでした。

話のリアルさもさることながら、語り方と声が絶妙に耳触りが良くて何度でも聴けます。


そんな流れで、今日は怖い話を書こうかなと思います。苦手な方は飛ばしてください。



今のマンションに越してきて3年ほどになりますが、一度だけ怖い思いをしたことがあります。


一昨年の冬の話です。

留学から帰ったばかりの頃、

それまで遊べていなかったこともあって毎日夜遅くまで外出していました。

年末に差し掛かるあたり、いつものようにエントランスからエレベーターホールに入りました。



14階建てのマンションには二つのエレベーターがあり、

誰も使わない時間になると、ひとつは1階に、もうひとつは中間の7階に停まって、

昇降ボタンを押した階に近い方がやってきます。


その時も遅い時間で誰も使っていなかったとみえて、1階と7階にランプが付いていました。


ボタンを押して少しすると、1階に停まっていたエレベーターの扉が開きました。

いつもならすぐに乗り込むのですが、その日はそうもいきませんでした。


エレベーターに人が乗っていたのです。


背丈は私と同じか少し低いくらいで、

肩口ほどまでの短い髪の毛がぐちゃぐちゃに絡まっていて針金のようでした。

後ろを向いたまま微動だにせず、女か男かも判別がつきません。


明らかに普通の人じゃない、と直感で思いました。

私が来るまでエレベーターは1階にずっと停まっていたはずなのです。

つまり、停まったままのエレベーターの中に、後ろ向きで立ち尽くしていたということになります。

どうして?何のために?

途端に恐ろしくなって、その背中から目を離さないよう後ずさりして、

背後にある階段を一気に駆け上って家に飛び込みました。

お風呂にもトイレにも洗面所にも一人で行く気になれず、

結局出かけたままの格好で布団に入りました。




オチもなければマンション自体も幽霊とは縁もゆかりもない普通のマンションです。なんならこの体験談も嘘です。

自分で作った実話っぽい怪談話をしてみたかったので書きました。騙してごめんなさい。

内容に納得いかなくなったら消します。


おわり

いつまで続くかも何を話すのかも分からないけど、なんとなく勢いでブログ作ってみました。

学生の今考えていることや感じたことをなるべく素直に記録したいなと思ってます。


年末に思い出した話をします。

ところどころ記憶が曖昧なので捏造してるかもしれません。


他の高校ではどうなのか分かりませんが、私の高校では三年生のとき、芸術鑑賞会という行事がありました。

文系の先生方が毎年企画しているもので、文字通り伝統芸能の公演を観に行く恒例行事です。(今でもやってるみたいです)

授業を1コマだけ受けて一旦解散し、お昼過ぎに現地集合するのが当日の流れです。


正直な話、私にとって伝統芸能なんてどうでもよくて、お昼ご飯をファミレスで食べたり、東京方面に向かう電車の中でワイワイおしゃべりするのが一番の楽しみでした。

(当日のお昼はたしか一駅先のサイゼに行った気がします。周りは同じ高校の生徒ばかりで、なんだか不思議な光景でした)


劇場の前に着いてクラス順に並んだ後、座席表で自分の席を確認したら、花道のすぐ隣の、ものすごく良い席でした。

今考えればとても失礼な話ですが、

内容に興味もないし、公演が始まったら寝てしまおうかと考えていたので、

これでは目立って仕方ない、と隠すこともなくクラスメイトに愚痴をこぼしていました。


もうすぐ入場、というタイミングになったとき、前に立っていた男子から声をかけられました。

同じ部活に所属している背の高い、物静かな男子でした。部活もクラスも同じなのに、片手で数えられるくらいしか話したことがなかったので、声をかけられたときはかなりビックリしました。

彼は私に、席を交換してくれないかと持ちかけてきました。

なんでも、今日の演目(彼から能だと聞かされるまで知りませんでした)を心待ちにしていたらしく、できれば良い席で観たいということでした。

もとより興味もなければ寝るにはもったいない席だと思っていたので、二つ返事で了承しました。

それを聞いて、彼がとても嬉しそうにお礼を言ってくれたのをよく覚えています。(演目の内容は案の定なにも覚えていません)


それから幾日も経たない日の朝、彼が私の席の前に立ちました。

この前のお礼に、と差し出された紙袋には見覚えがあって、近所のデパートのものだとすぐに分かりました。

そんなに大それたことをしたつもりはないので受け取れない、と言ったのですが、

家族にも話して何かお礼をしなさいと言われた、と押し切られて結局貰ってしまいました。

袋の中身は、リラックマの刺繍が入った鮮やかな色のミニタオルでした。(当時デパートで開催していた展覧会のグッズだったのかなと推測しています)

自分では絶対に買わないような可愛らしい柄で、心がとても温かくなりました。


昨年末、(渋々の)大掃除をしているときに、折り重なった衣類の間からこのタオルが出てきて、この出来事を思い出しました。

大したことのない話かもしれませんが、私の記憶で唯一と言ってもいいほっこりエピソードだったので、忘れないうちに書き残しておきます。


おわり